掛川市、茶エンナーレ最終日、貞永寺さまとシオーネさんへ。

掛川の芸術祭、茶エンナーレさんも最終日です。

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ここからはシオーネさんです。
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貞永寺さま
静岡県掛川市大坂3706−1
電話: 0537-72-2564

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11/19のツイートまとめ

karaagenankotsu

いつも、正しいことは間違ってる。
11-19 08:57

怒りとは自分を鍛えるための課題。
11-19 08:44

優しさがあるから悪さが魅力的になるんじゃないか。
11-19 07:00

逆転の発想ですね! https://t.co/25XkIPY3PF
11-19 00:05

11/18のツイートまとめ

karaagenankotsu

問題を解けないからイライラする。問題を解くためにはアドラーが示したように負けなければいけない。
11-18 23:44

傷から生まれる行動力こそ誠であり、澄み切った神聖を備えた原点である。
11-18 23:43

心が散って困っている人を自らに映して、心をまとめてみせる必要があるのか。
11-18 18:28

思いやりこそ人間の本質。ただそのとき同時に、肯定された自らの欠点を核に思いやりが提供されなければならない。
11-18 14:41

生徒さんを怒鳴るときもありますが、その時ってあたかも自分が世界の警察かのような気がしてます。絶対的に正しいかのような。自分を見失うって、自らの欠点を見失っているのかも。
11-18 12:25

「『性を知る』、人間の本性を会得する時には『天を知る』ことが出来る」。『講孟箚記 下』273ページ。性とは仁義礼智、善の事。エピファニーも性を知ることで生起するのでは。
11-18 07:51

講孟箚記に見た新しいマーケティング


講孟箚記(下)講談社学術文庫288ページより抜粋。

「我にあるもの」は求めようとすれば得ることが出来る。
「外にあるもの」は求めようとしても求められない。しかるにそれをいろいろと手段や知恵を用いて求めようとし、どうしても得られないと、あるものはなげやりとなり、あるものは悲しみに沈むのは、正命を知らないからである。
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これは『孟子』の尽心編の3を吉田松陰が解説したものだ。
一方原著、『孟子』のその節では
「自分自身で持っているものとは、仁・義・礼・智などの、いわゆる天爵のことである」
としている。天爵とは(官位はないが)自然と備わった立派な人格・気品・人望だという。
逆に
「自分以外にあるものとは、富貴・栄誉などのいわゆる人爵のことである」
とする。

マイケル・ポーターのモニターグループが倒産したことからわかるように、市場のパイを奪おうとする戦略は限界を迎えたのかもしれない。人爵を求める経営から天爵を求める経営へ。マーケットインではなく、ジョブスのアップルのようなプロダクトアウト。市場を創り出す経営は理念を核にしている。

ピーター・ティールは、「僕たちは、10年後や20年後にこの国がどうなっているかを大胆に想像するよりも、数週間後に国民が何を考えているかを統計的に予測することに夢中になっている」と批判した。2週間後の世界の予想など、コンピューターの方がはるかに得意である。

そうではない。確固たる信念を持つこと。その、人が人たる所以こそが20年後の世界を創り出す。つまり市場を創り出す本当に強い企業は天爵の経営をしているはずなのだ。実際ティールはこの考えに基づき人を見抜き、巨額の富を築いた。人爵は、天爵を求める結果得られた。

参考『Zero to One』

学びて思わざれば則ち罔し

川﨑剛史さまのフェイスブックのコメントより どうして塾で出来てもテストで出来なくなるのか、そのヒントになりそうな一節です。
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この一節の前段に公孫丑(こうそんちゅう)が孟子にこのようにたずねます。
「聖人の道というものは高く、美しい。それはあたかも天に登るように高遠で、自分達にはとても及ばないように思われる。何とかして道を引き下げ、人々をしてどうやら到達出来るように、また毎日毎日努力する甲斐があるように、してもらえないものでしょうか。」と。
孟子はこのように答えました。
「(そんなことは出来ない)大工の棟梁は、下手な大工のため、 すみなわ学ぶことがむつかしいからと言って、墨縄を用いる法を改めたり、よしたりすることは、しない。」

どんなこともでも努力する者がそれを獲得することができ、努力しない者はいつまでたっても会得はできないのだ。
教える立場の者からすると早く分かってもらうために分かりやすく教えようとすることは、その人のためにならないという意味にも取れます。

牛尾治朗氏がこのようにご自身の著書で示されています。

安岡先生の教育者として優れた点の一つは、柔軟性にあると思うのです。具体的には、相手のレベルはもちろん、考え方や好みに合わせて話をすることができるということです。
私が反発していたころのことをご存知の安岡先生は、私をアメリカかぶれ、ヨーロッパかぶれと思っています。だから、私に向かって話すときは、『宋名臣言行録』や『論語』の話でも、ヤスパースやニーチェを持ち出して解説するのです。
その博覧強記ぶりは驚くべきものがありました。

だから、そのころ私にはまだあまり馴染みのなかった中国の古典も、どうにか理解することができたのです。私の質問や反論に対して、安岡先生は一つひとつ噛んで含めるように丁寧に話されます。それだけに身に沁みるように分かりました。
そこで私は答えます。
「分かりました」 すると安岡先生は、「治朗さん」と厳しい口調で言われました。
「そう簡単に分かってしまっては困る」

のちに、『論語』でこういう言葉を学びました。 「学びて思わざれば則ち罔(くら)し」

物事というのはただ学ぶだけではなく、それを深く思い、自分自身に照らして考えなければ、真に自分のものにすることはできない、ということです。
知識は単に知識で終わってしまっては、何にもならない。それを見識に、さらには胆識に高めていかなければならない。いや、「分かった」というのは分かったつもりになっているだけで、知識になっていない場合さえ多い。

そのことを安岡先生はたしなめられたのでした。

「そう簡単に分かってしまっては困る」。私の密かな戒めです。
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松井勇人

Author:松井勇人
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起業家心理の研究もしてます。

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